戦前の特撮映画『大仏廻国』と聚楽園大仏および山田才吉との関係

『大佛廻國・中京篇』(以下「大仏廻国」)という戦前の1934(昭和9)年に公開された日本最初期の特撮映画があります。監督は枝正義郎。ゴジラやウルトラマンなどを手がけた円谷英二を映画の世界に引き入れた、円谷の師にあたる人物 … (続きを読む)
『大佛廻國・中京篇』(以下「大仏廻国」)という戦前の1934(昭和9)年に公開された日本最初期の特撮映画があります。監督は枝正義郎。ゴジラやウルトラマンなどを手がけた円谷英二を映画の世界に引き入れた、円谷の師にあたる人物 … (続きを読む)
更新が遅れてしまいましたが、クリスマスイブの昨年12月24日、聚楽園大仏の建立者・山田才吉の親族・縁者で、大仏の境内および台座部分の正月前の大掃除をしました。台座の清掃は9月のお彼岸前に行なって以来。その時の様子を地域紙 … (続きを読む)
聚楽園大仏の調査が念願叶って実現へと進みます。 ここに至るまでは試行錯誤の連続でした。まず私たちは、大仏造立を発願した山田才吉の子孫と縁者で「聚楽園大仏を次の世代に伝える会」を立ち上げました。そして大仏寺さん、および東海 … (続きを読む)
先月に引き続き(過去のブログを参照)、今月も東海タイムズさんが聚楽園大仏と8月に東京で開かれた「大仏廻国展」について取り上げてくれました。 私たちの修繕活動の軸としては、聚楽園大仏の世間への一般的な周知と並行して、郷土史 … (続きを読む)
今日9月18日に東海テレビ「ニュースOne」で映画『大仏廻国』についての放送がありました。戦前に撮られた『大佛廻國・中京篇』は、日本初の着ぐるみ巨大特撮映画と言われています。同映画はゴジラ映画誕生より約20年早く、現在そ … (続きを読む)
8月も終わり、一時期より日差しも落ち着いたため、特に夏の間、気になっていた聚楽園大仏の台座部分に生えていたツタや雑草の除去を、当会で行いました。 台座に脚立を立てかけ上がってみると、台座の角や大仏と台座の間の、砂やちりな … (続きを読む)
少し前になりますが、東京・三田にある仏教伝道協会さんへお邪魔してきました。同協会は主に「仏教聖典」の現代語訳、および外国語訳による編集、刊行、普及などを行なっている公益財団法人です。ホテルの部屋に、キリスト教の聖書が置か … (続きを読む)
8月23日に発行された東海タイムズ8月号に、7月に行われた映画『大仏廻国 The Great Buddha Arrival』の聚楽園ロケの様子と東海テレビ「ニュースOne」の取材、および聚楽園大仏について記事が載りました … (続きを読む)
もしかしたら気になっていた人もいたかもしれません。白毫(眉間にある毛、聚楽園大仏はかつてそれを電灯で表現:過去のブログ参照)より上、螺髪(巻き毛)の頭頂部付近にある丸い構造。肉髻(にっけい)と呼ばれるもので、聚楽園大仏で … (続きを読む)
8月11日から25日まで、東京都南千住にあるGallery Hiroumiで映画『大仏廻国』をテーマにした「大仏廻国展」が開かれています。早速、当会メンバーも初日に同展へうかがいました。 今年末に公開される映画『大仏廻国 … (続きを読む)
先日、茨城県にある牛久大仏さんを訪問しました。同大仏は浄土真宗東本願寺派本山東本願寺により造立された、ブロンズ立像としては世界最大の大仏です。 今回の訪問目的は全高120メートルと巨大な大仏のメンテナンスを、どのように行 … (続きを読む)
山田才吉に関する資料については、伊勢湾台風で海水に浸かったことや、時代を経て散逸してしまったこともあり、才吉の実子の家でも潤沢に残っているわけではありません。しかし、その少ない資料の中に、かつて東陽館にあったと思われる( … (続きを読む)
(今も残る東陽館の館内図) 聚楽園大仏を造立した山田才吉は、守口漬の考案と缶詰事業が当たったことで、名古屋財界で飛躍するきっかけをつかみました。その才吉が1897(明治30)年に、名古屋市前津小林(現在の名古屋市中区東陽 … (続きを読む)
大仏自体がとても大きいため、ついつい見逃しがちになってしまいますが、大仏の正面にある金剛力士像(仁王像)や灯篭、線香立ても、大仏造立時からのコンクリート造形物です。これらにも当時の足跡を目にすることができます。 まず仁王 … (続きを読む)
今年末に公開が予定されている映画『大仏廻国 The Great Buddha Arrival』の聚楽園での撮影が今月21日に行われました。あわせて東海テレビ「ニュースOne」の取材陣も再び訪れ、当会メンバーは各クルーをお … (続きを読む)
先日、東海テレビ「ニュースOne」から当会メンバーが取材を受けました。同番組によれば、今年末に公開される映画『大仏廻国 The Great Buddha Arrival』について取材しているそうで、聚楽園大仏および同大仏 … (続きを読む)
少し前ですが、香港ランタオ島にある天壇大仏へ視察に行ってきました。天壇大仏は屋外にある世界最大の大仏です。聚楽園大仏も造立当時は日本一でした。ちなみに天壇大仏は釈迦如来、聚楽園大仏は阿弥陀如来です。 なぜ天壇大仏を訪れて … (続きを読む)
聚楽園大仏の正面向かって右奥に、自然石でできた2つの石碑があります。向かって右は「山田才吉翁頌徳碑」、左には「山田才吉翁寿碑」と書かれています。このことからも分かるように、以前は才吉の銅像がありました。 銅像設立の音頭を … (続きを読む)
一週間前に、ブログに載らない細かな情報を掲載していくため、InstagramとFacebookのアカウントを開設したとお伝えしました(該当するブログ記事はこちら)。それら2つのSNSに続き、twitterのアカウントも始 … (続きを読む)
大仏修繕における活動、および寄付金についてお問い合わせがあったため、念のために記します。 私たち「聚楽園大仏を次の世代に伝える会」は現時点では募金活動は行っていません。大仏修繕に向けた将来的な募金活動は一案ではありますが … (続きを読む)
今までは、このブログのみで当会の活動報告などを紹介してきましたが、ブログに載らない細かな情報を伝えていくために、「聚楽園大仏を次の世代に伝える会」のInstagramアカウントとFacebookページを開設しました。 同 … (続きを読む)
奈良の大仏が南大門に金剛力士像を擁しているように、聚楽園大仏の南側にも同じく阿形像、吽行像の一対の金剛力士像(仁王像)が立っています。 聚楽園大仏については、1984年の修繕の際に全体に銅粉がまぶされて、当時のコンクリー … (続きを読む)
戦前の名古屋の歴史をひも解くと、至るところに顔を出している山田才吉ですが、客観的に見ればそこまで知名度が高いわけではありません。そのため才吉の親族や一部郷土歴史家を除いて、一般的に才吉の情報はそこまで知られていません。 … (続きを読む)
聚楽園大仏にも拝む時のベストスポットが存在します。それが大仏の正面、賽銭箱のすぐ前あたりの、大仏の顔からすぐ下の場所です。なぜなら、ここへ来るとちょうど大仏と視線を合わせることができるからです。 聚楽園大仏の場合、頭を少 … (続きを読む)
聚楽園大仏を造立した山田才吉は、大仏だけではなく仏教そのものにも興味があったようでした。それは才吉の仏教遍歴からも推察できるのですが、今回は才吉と仏教の関わりをまとめてみたいと思います。 宗派にこだわらない聚楽園大仏 才 … (続きを読む)
聚楽園大仏を訪れた人のブログなどを読んでいると、現在はふさがれてしまっている大仏胎内についての関心の高さがうかがえます。立ち入りが禁止されている場所ですので、余計に見たい気持ちが募るのは人の性。じつは以前は、大仏の胎内へ … (続きを読む)
5月8日から19日までフランス南部カンヌで開かれていた第71回カンヌ国際映画祭にて、今年末公開予定の映画『大仏廻国 The Great Buddha Arrival』のアピールを、当会のメンバーが行なってきました。 現地 … (続きを読む)
聚楽園大仏修繕プロジェクトを実現するべく、2018年5月21日をもって、「聚楽園大仏を次の世代に伝える会」を正式発足しました。 なぜ5月21日かというと、約80年前の1927(昭和2)年5月21日に聚楽園大仏の開眼供養が … (続きを読む)
以前のブログで戦前の映画『大佛廻國・中京編』と山田才吉との関係性の推察(過去のブログを参照)について書きました。また今年公開の映画『大仏廻国 The Great Buddha Arrival』を撮影する横川寛人監督とお会 … (続きを読む)
聚楽園大仏が語られる時、その特異性の一つとして白毫(びゃくごう)が挙げられます。白毫とは仏の眉間にある白い毛のこと。光を放つといわれ、仏像では水晶などをはめてこれを表しています。つまり大仏のおでこにはめられている丸い玉で … (続きを読む)
今年末に公開予定の映画『大仏廻国 The Great Buddha Arrival』でメガホンを取る横川監督と、先月お会いしてきました。 同作は、聚楽園大仏が歩き出すという設定だった戦前の『大佛廻國・中京篇』のコンセプト … (続きを読む)
大仏の修繕への道筋をつけたいと言っても、素人の私たちには、まず何から始めていいか分かりませんでした。大仏は阿弥陀如来の姿をしていますが、宗教的な見方を省けば、そもそもコンクリート製の巨大な建造物です。そこで、まず鉄筋コン … (続きを読む)
現在、聚楽園大仏は宗教法人・大仏寺により管理されています。そして境内地の周囲を囲むように、東海市が管轄する聚楽園公園の敷地が広がります。 個人により建立された日本一の大仏 山田才吉は聚楽園大仏を「大正天皇御大典記念事業( … (続きを読む)
「聚楽園大仏の修繕をしたい」 そんな思いを数年前から特に強く感じていました。聚楽園大仏が1927(昭和2)年5月21日に開眼供養されてから90年以上。1984年に一度大きな修繕をしていますが、それでも30年以上がたち、体 … (続きを読む)