戦前の特撮映画『大仏廻国』と聚楽園大仏および山田才吉との関係

『大佛廻國・中京篇』(以下「大仏廻国」)という戦前の1934(昭和9)年に公開された日本最初期の特撮映画があります。監督は枝正義郎。ゴジラやウルトラマンなどを手がけた円谷英二を映画の世界に引き入れた、円谷の師にあたる人物 … (続きを読む)
『大佛廻國・中京篇』(以下「大仏廻国」)という戦前の1934(昭和9)年に公開された日本最初期の特撮映画があります。監督は枝正義郎。ゴジラやウルトラマンなどを手がけた円谷英二を映画の世界に引き入れた、円谷の師にあたる人物 … (続きを読む)
山田才吉に関する資料については、伊勢湾台風で海水に浸かったことや、時代を経て散逸してしまったこともあり、才吉の実子の家でも潤沢に残っているわけではありません。しかし、その少ない資料の中に、かつて東陽館にあったと思われる( … (続きを読む)
(今も残る東陽館の館内図) 聚楽園大仏を造立した山田才吉は、守口漬の考案と缶詰事業が当たったことで、名古屋財界で飛躍するきっかけをつかみました。その才吉が1897(明治30)年に、名古屋市前津小林(現在の名古屋市中区東陽 … (続きを読む)
大仏自体がとても大きいため、ついつい見逃しがちになってしまいますが、大仏の正面にある金剛力士像(仁王像)や灯篭、線香立ても、大仏造立時からのコンクリート造形物です。これらにも当時の足跡を目にすることができます。 まず仁王 … (続きを読む)
聚楽園大仏の正面向かって右奥に、自然石でできた2つの石碑があります。向かって右は「山田才吉翁頌徳碑」、左には「山田才吉翁寿碑」と書かれています。このことからも分かるように、以前は才吉の銅像がありました。 銅像設立の音頭を … (続きを読む)
戦前の名古屋の歴史をひも解くと、至るところに顔を出している山田才吉ですが、客観的に見ればそこまで知名度が高いわけではありません。そのため才吉の親族や一部郷土歴史家を除いて、一般的に才吉の情報はそこまで知られていません。 … (続きを読む)
聚楽園大仏を造立した山田才吉は、大仏だけではなく仏教そのものにも興味があったようでした。それは才吉の仏教遍歴からも推察できるのですが、今回は才吉と仏教の関わりをまとめてみたいと思います。 宗派にこだわらない聚楽園大仏 才 … (続きを読む)
聚楽園大仏が語られる時、その特異性の一つとして白毫(びゃくごう)が挙げられます。白毫とは仏の眉間にある白い毛のこと。光を放つといわれ、仏像では水晶などをはめてこれを表しています。つまり大仏のおでこにはめられている丸い玉で … (続きを読む)
現在、聚楽園大仏は宗教法人・大仏寺により管理されています。そして境内地の周囲を囲むように、東海市が管轄する聚楽園公園の敷地が広がります。 個人により建立された日本一の大仏 山田才吉は聚楽園大仏を「大正天皇御大典記念事業( … (続きを読む)