聚楽園大仏とは

聚楽園大仏とは

聚楽園大仏(しゅうらくえんだいぶつ)は、1927(昭和2)年に昭和天皇のご成婚を祝い、当時、愛知県知多郡上野村(現在の東海市)にあった料理旅館・聚楽園の敷地内に、旅館経営者の山田才吉により建てられました。高さ18.79メートル。人造石およびコンクリート製の阿弥陀如来像です。奈良や鎌倉の大仏より大きく、現在は東海市の文化財に指定されています。

大仏を造立した実業家・山田才吉

聚楽園大仏を建立したいのは、美濃国出身で後に戦前の中京財界で名を馳せた実業家・山田才吉です。料理人として世を歩み始めた才吉は、守口漬の考案(現在も名古屋名物として存続)、および日本罐詰株式会社を立ち上げ、愛知県下で初めて缶詰製造販売に参入。財を成しました。

才吉は漬物、缶詰事業以外にも、東陽館(名古屋市中区)、南陽館(名古屋市港区)、北陽館(岐阜県可児市)といった大型旅館や名古屋教育水族館(名古屋市港区)を経営し、名古屋瓦斯(東邦ガスの前身)、愛知電気鉄道(名古屋鉄道の前身)への参画、熱田電気軌道の敷設、中京新報(名古屋新聞の前身のちの中日新聞)の創刊、中央卸売市場の開設など、多くの施設・事業を手がけました。

大仏がある聚楽園は、その才吉が晩年を過ごした地です。「聚楽園(しゅうらくえん)」という名前は、豊臣秀吉が京都に建てた邸宅・聚楽第(じゅらくだい)を参考に、才吉により名付けられました。

大仏はどうやって造られたのか

当初、山田才吉は大仏造立を「大正天皇御大典記念」として発起。寄付を募りますが集まらず、最終的には私財を投じて完成させました。費用は当時の額で15万円(2017年の価値で2億4000万円)。素材は当時の最新技術だった人造石および鉄筋コンクリートを用いました。大仏は事前に作った阿弥陀如来の雛形を、拡大して造られました。雛形は大仏横の建物内に安置されていましたが、現在は壊され存在しません。

大仏が阿弥陀如来である理由は、元々、山田才吉家は浄土真宗を信仰しており、そのご本尊が阿弥陀如来であること(現在の同家菩提寺は黄檗宗の寺院)。そして鎌倉・高徳院の大仏を造立前のイメージとしたためです。人造石および鉄筋コンクリートである理由は、才吉の「火災にも水害にも負けない像にしたい」という願いからでした。

聚楽園大仏は、特定の宗派に捉われない仏像として造られ、かつて大仏の胎内には、親鸞聖人、達磨大師、弘法大師など日本仏教13宗派の宗祖の仏画がありました。中央には、京都・南禅寺の管長・河野霧海より才吉が賜った、後桜町天皇の念持仏・聖観音像が鎮座していました。現在の胎内は、仏像も仏画も取り払われています。

山田才吉と関連事業年表

1852(嘉永5)年 岐阜県厚見郡富茂登村に生まれる
1880(明治13)年 缶詰の製造販売を始める
1881(明治14)年 漬物屋「きた福」創業
1884(明治17)年 日本缶詰株式会社を立ち上げ
1887(明治20)年 中京新報を創刊
1895(明治28)年 名古屋市議会議員に初当選
1897(明治30)年 東陽館を開業
1899(明治32)年 愛知県議会議員に初当選
1901(明治34)年 名古屋商業会議所会員に選出 運輸部長に就く
1903(明治36)年 東陽館で火災が起きる
1904(明治37)年 愛知県五二会の幹事長に就く
1906(明治39)年 名古屋瓦斯を創立
1910(明治43)年 名古屋教育水族館と南陽館を開館
1910(明治43)年 熱田電気軌道を開業(熱田神戸橋〜東築地)
1910(明治43)年 知多電車軌道の発起人に名を連ねる
1910(明治43)年 中央市場株式会社を設立
1911(明治44)年 大曽根市場を開設
1912(大正元)年 熱田電気軌道を延伸(熱田伝馬町〜南陽館前)
1912(大正元)年 名古屋教育水族館と建設中の南陽館が台風により倒壊
1912(大正元)年 名古屋教育水族館を復旧開館
1913(大正2)年 南陽館を復旧開館
1916(大正5)年 聚楽園を開園
1916(大正5)年 聚楽園駅が臨時開業(山田才吉が駅の土地を提供)
1917(大正6)年 聚楽園駅が正式開業
1919(大正8)年 熱田電気軌道が名古屋電気鉄道と合併
1922(大正11)年 名古屋桟橋倉庫の取締役就任(〜1924年)
1924(大正13)年 北陽館を開園
1927(昭和2)年 聚楽園大仏を建立
1933(昭和8)年 聚楽園に山田才吉の寿像と頌徳碑が造られる
1934(昭和9)年 映画『大佛廻國・中京篇』が封切
1935(昭和10)年 南陽館を閉館
1937(昭和12)年 死去