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聚楽園大仏の白毫のさらに上にある丸い穴は何か?

2018年8月18日 by shurakuen

もしかしたら気になっていた人もいたかもしれません。白毫(眉間にある毛、聚楽園大仏はかつてそれを電灯で表現:過去のブログ参照)より上、螺髪(巻き毛)の頭頂部付近にある丸い構造。肉髻(にっけい)と呼ばれるもので、聚楽園大仏では内部が空洞になった低い煙突のような形になっています。

じつはこれ、内部へ明かりを取り入れるための窓です。以前、中日新聞写真部さんよりいただいた航空写真を見ると、このように丸い穴を確認できます。

今は立ち入りが禁止されている大仏の胎内ですが、かつては入ることができました(過去のブログを参照)。そのため、明かり取りがないと真っ暗になってしまいます。写真に写る明かり取りのガラスは、撮影日の前月に起こった地震で割れたままになっている状態のものです(当時の中日新聞より)。

昔の大仏の写真をあらためて見てみると、いろいろと興味深いものが見つかります。例えば、東海市が発行する「広報とうかい」に使われたこの写真。聚楽園大仏が「火の用心」のたすきをかけています。1978年に掲載されたものですので、これも1984年の修繕前の写真です。

そして1984年の修繕直後の写真。今は気になる肩などのひび割れもなく、全身がピカピカです。

造立当時の仁王像(過去のブログを参照)の写真も紹介します。今はこちらもひび割れて塗装もはげてしまっていますが、かつてはきれいに彩色が施されていた様子を確認できます。

カテゴリー: 大仏修繕活動, 聚楽園と大仏の歴史 タグ: 写真, 戦前, 昭和, 聚楽園大仏

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