戦前の東陽館に存在した?コンクリート製の不動明王像

山田才吉に関する資料については、伊勢湾台風で海水に浸かったことや、時代を経て散逸してしまったこともあり、才吉の実子の家でも潤沢に残っているわけではありません。しかし、その少ない資料の中に、かつて東陽館にあったと思われる( … (続きを読む)
山田才吉に関する資料については、伊勢湾台風で海水に浸かったことや、時代を経て散逸してしまったこともあり、才吉の実子の家でも潤沢に残っているわけではありません。しかし、その少ない資料の中に、かつて東陽館にあったと思われる( … (続きを読む)
(今も残る東陽館の館内図) 聚楽園大仏を造立した山田才吉は、守口漬の考案と缶詰事業が当たったことで、名古屋財界で飛躍するきっかけをつかみました。その才吉が1897(明治30)年に、名古屋市前津小林(現在の名古屋市中区東陽 … (続きを読む)